岐阜県可児市は今、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」放送にあわせての盛り上がりの真っ最中です。 たまたま明智城址の北にある光蓮寺に出かける機会があり、ならば明智光秀生誕地といわれるこの城址公園を歩かないわけにはいきません。 すでに見学者が次々とやってくるのですが、しかし城址内はまだ準備段階であちこち工事箇所があり、特に×〜×間は以前の斜面崩落のためにもう5年以上通行止めのまま周回できません。 まず大手口(No1)から登って本丸ほか中心部を歩き、No5西出丸まで行って引返し(赤点線)、次に搦手口(No6)から登って西側の曲輪を周回(紫点線)という変則的なコース取りをするしかありませんでした。 桔梗坂は結構長くて足弱にはつらいので、城址中心部だけを見るなら南側の住宅地から登ったほうが楽そうです。 なお大手口駐車場(P)のすぐ上の展望ベンチが穴場です。(ここで昼食とした:右画像はそこからの展望) |
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■この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものである。(承認番号 令元情復、第120号) ■この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。 |
No1大手門口からの登城路は工事中で、仮設歩道を通ります。(No2大手門は通れず眺めるのみ) 桔梗坂を登りきった右手がNo3中ノ曲輪、その先が二ノ丸、本丸となるようですが、土塁はよくわかりません。 現在の長山配水場が初期の城址らしいのですが、大きな給水タンクでこちらは立ち入れないようです。 No4本丸一帯には城址碑がいくつもあり、模擬馬防柵も作られています。 北端展望デッキからの眺めに500年前を思う。 No5西出丸曲輪の三等三角点羽崎(175.18m)を折り返し点にして来た道を引き返します。 一方、 No6絡手口から登るとNo7乾曲輪で「六親眷属幽魂塔」を見られます。ただ本丸には行けないので、No8台所曲輪を経て下りました。 最後に No9天龍寺の境内にある明智氏歴代墓所を訪れる。(下画:石仏・石塔が30基以上ある) |
いたるところに左画の「明智城址公園散策路マップ」があります。 この図で現在位置が確認できるので結構便利です。(拡大可) ただし現在「麒麟がくる」にあわせてあちこち工事中で、城址探訪としては残念な状態という不満が残りました。 またWeb上で縄張図を探しましたが見つかりません。(この図はどこから?) |
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No1 明智城大手門へ石畳の道。 (桔梗坂) 桔梗は明智光秀家紋です・・・右画。 登城口から右へ向うルートは光蓮寺へ、左の看板の見えるところが大手口駐車場(P:結構広い)です。 |
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左:No2 大手門遠景。(今は通れません) 下:仮設歩道、その向うに見えているのが桔梗坂。日陰で傾斜していかにも滑りそう。 その転倒防止の工事のための仮設歩道かと思われます。(来年に向けて) |
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左:城址中心部(No4)に立つ石碑。 ここも工事中でトラックがいます。 (来年は立姿の光秀ブロンズ像が建つ予定) 右:本丸の碑 下:展望台があり、直下が明智庄。(明智一族支配地) |
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長く続くりっぱな馬防柵。 当時これがあったとは思えないけれど。 下:搦手口ルートは通行止めが長く、もはや草に埋もれて廃道状態。 でも、来年の大河ドラマの前に何とかしたいところ。(別ルート工事中) |
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左:No6 搦手口への登り。 下:乾曲輪への分岐・・・大堀切がある。 駐車場に乾曲輪の解説あり→解説図参照 |
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No7乾曲輪の「六親眷属幽魂塔」
明智一族の供養塔らしいのですが、目立たぬように残されていたため1973年に発見されたという。 (下画に解説板) |
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左:No8台所曲輪跡。 台所というから食事のためなのでしょう。 水の手曲輪も近い位置です。 ただ縄張図がないため正しいかは不明。 下:台所曲輪から山道で下る途中に鴨の泳ぐ池があり、そこに石塔が3つ。 |