■ 170 春埜山大光寺/静岡県浜松市 ■

静岡県浜松市天竜区春野町花島の大光寺は,天狗伝説(太白坊大権現)と樹齢1300年の行基手植えの春埜杉で知られる曹洞宗の古刹です。
718年に行基開山とされる寺の本堂を守る狛犬(一対の狼)と春埜杉,そして大光寺奥の院の3つを目的に,片道二時間半をかけて出かけました。
170大光寺
この地図は,国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製・追記したものである。
☆地図上では本堂の奥にもう一棟の建物があるようですが,これは本殿と拝殿の関係なのか少々気になるところです。(googleの空撮画像にも屋根が写っている)
標高850mの大光寺入口までがなかなか大変なルートなのですが(後述),上の地図でNo1の鳥居が見えればもう大丈夫。
この鳥居から100mほど奥へ入った行き止まりが駐車場()で,大光寺への参道口となります。
ここは東海自然歩道の休憩地でもあり,ベンチや案内板・トイレ(凍結防止付!)もあります。
北向き正面には南アルプス南端の山々が広がる展望地です。

緩やかに下る参道を進むと正面右にNo2山門,左手に社務所・庫裏,山門の外側石段の下に春埜杉。
振り返ると,本殿石段の上に大光寺本堂(No3)と,今回探訪の目玉であるオオカミの狛犬(守護神太白坊の眷属)が見下ろしています。
老木保護のため山門外の石段を下ることはできませんが,根元まで行っても見上げる以外できないので,上からで充分。
山門附近のあちこちから角度を変えて偉容を画像に収めました。
残念ながら社務所は留守で,御犬様のお札(¥200右画像:窓越しに撮影)はもらえませんでしたが。
そして阿吽のオオカミの狛犬は,自撮り棒をデジカメにセットして,正面前後左右から四面を撮りまくりました。
(幸い参拝者もいなくて自由自在でしたが,灯篭の竿部のおいぬさまを撮り忘れた!)

さて,ここから奥の院へ行くには,いったんNo1まで戻って林道を東へ1kmほど進んだ分岐(No4)から山道へ。
最初の緩やかな登りから強烈な急登を経て,急斜面に建つ大光寺奥の院に参拝してきました。
鳥居沢山(932m)まではあと15分ほどのようですが,今回はここで引き返します。(次回はないかも?と思いますが)
☆オオカミは「ヤマイヌ」或いは「オイヌ様」と呼ばれていたようですが,護符のヤマイヌがブチ模様なのは解せないところです。(リカオンならともかく)
追記1:埼玉県秩父の両神御嶽神社のオイヌ様護符もブチ模様です。(こちらの狛犬はもちろんオイヌ様=オオカミです)
追記2:藤枝市の鬼岩寺にある黒犬神社と関係があるらしい(春埜山からきた犬との伝承もあるようです)。そのオイヌ様護符は大光寺とそっくりのブチ模様です。
R389→春埜山林道
R389大光寺の駐車場に至るまでの山岳道路(と呼ばせてもらう)は,覚悟はしていたものの予想以上の山奥でした。
新東名森掛川ICから県道58号を北上して周智トンネル出口(上地図左下)までは走りやすい二車線舗装路です。
ここから左折してトンネルの上を走る県道389号に入るのですが,すぐに急登・急カーブの連続,「天竜美林」を実感させる山また山の林道。(県道なのですが)
389号を2kmほど登った分岐の案内板(右画)に「大光寺」が右とあり,当初の予定と違うのですが,この「広域林道春埜山線」を走ることにしました。
この林道がなかなか強烈で,数cm大の鋭角の落石だらけでパンク要注意の一部未舗装路,オフロードバイクなら喜びそうな山道です。
実際にネットではパンクの話もあり,こういう危険な悪路は奥三河でもなかなか味わえない。(明神山へのスズカタ林道は別にして)
展望地2km途中の大展望地(左画)は素敵でしたが「春埜杉まで2km」の案内(右画)を見るまでは不安な道中でした。
そしてようやく上記地図No1で大鳥居が見えてきます。(なぜ寺なのに鳥居?の疑問はありますが)

大光寺からの帰路は,往路の春埜山林道をやめて大時経由で戻りました。
往路より600mほど長くなりますが,落石は少ない。
(そのぶん春埜山林道は印象的でした・・・出会ったシカの群れやカモシカも含めて)
・春埜山大光寺の場所はこちら⇒MAPION
鳥居 No1 大光寺への鳥居。

かつての神仏習合の遺産なのでしょう。
守護神である太白坊大権現(春埜山の天狗)が神さまだと考えれば,おかしくはない。

大光寺には神仏分離令も届かなかった?
北にある山住神社との関係もあるようです。

奥の院へは左の道。
P 左画:駐車場()から見る大光寺への入口。

左端に見える建物はトイレです。
凍結防止の電気が通っており,この標高で真冬も水が出るようです。
下画:北方向展望(拡大可)
展望
山門 春埜杉左:No2 通行不可の山門。

その背後に春埜杉。
(右画:拡大可)
樹齢1300年というこの巨樹を超える存在は,近県では「月瀬の大杉」くらいでしょうか。



☆明治時代の銅版画「春埜山之図」 によれば旧参道は春埜杉の横を通っていますが,今の石段の反対側にあるようです。ともあれ,かつてはこの山門が寺への出入口だったのは確かです。(参考:遠州のポータルサイト「はまぞう」)
狛犬 No3 正面が御真殿(拝殿)で右手が本堂らしい (よくわかりません)・・・と1912年奉納という狛犬。
そのオオカミの狛犬を下にUP。(拡大可)
この姿を見たくて出かけたというわけです。 阿吽


☆「遠江古蹟図会」によれば,かつての寺は江戸時代に火事と山津波で損壊, 現在の建物は昭和になって作られたもののようです。(国立国会図書館デジタルコレクションによる)
奥の院1 左:No4 奥の院・鳥居沢山への山道入口。

案内地図は北が下・・・常識破り。(拡大可)案内
急登 左:案内板(No5)から先,急登が始まる。
下:大光寺奥の院。残念ながら中は見えない。
奥の院
追記3:新城市作手の山中に「お犬さまの石室」と呼ばれる祠(穴)があります。
その昔,きつねに化かされたという村人が大勢いて ”秋葉様,山住様,春野山の三つの神社にお参りしてお札をもらってくるのがきくそうだ”という話になりました。
そして明治の末ごろまで ”お札がそろうと,お犬様の境内で,酒を飲みかわし,ごちそうをつくりおまつりしました”
という,つくでの昔話・・・「お犬様」が伝わっています。

その場所を特定して行ってみました。
作手白鳥相寺から曲り峠へ向かうかつての峠道(林道)わきの左斜面に四角い穴がありましたが,境内のようなものは何も残っていません。(左画)
林道横に壊れた犬の置物(右画)があり,かろうじて場所を特定できましたが,一見草に埋もれた斜面の単なる穴としか思えませんでした。(近くでよく見れば,周囲は石組になっています)
かつてここに酒を酌み交わす村人がいたと思えば感慨ひとしおですが,今は風情も何もない林道のみ。
☆追記のおまけ:オオカミの眷属についての薀蓄
中山神社関東一円のオオカミ(大神)信仰をテーマにした「オオカミの護符」(小倉美惠子)によれば,秩父の三峯神社がその中心となっているようです。
祭神の一人,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の眷属がオオカミという話によるのですが,作手に多い白鳥神社の狛犬も祭神(ヤマトタケルノミコト)に関連して同様の言い伝えがあると思われます。 そして,遠州から東三河にかけての神社には,オオカミの狛犬(お犬様信仰)がけっこう残っています。これは,願い事について護符をもらう,または小さなヤマイヌの像を借りてくるというもので,天竜の山住神社系と串原(恵那市)の中山神社系の二系統があるようです。 これらの神社の狛犬(オイヌ様)はとうぜんながらオオカミの狛犬ということになります。
山住神社は未見ですが,中山神社の拝殿外には石の狛犬と並んで珍しい土焼き製狛犬があります。
残念ながら2021訪問時,吽像の顔が壊れていましたが・・・右画像は健在なほうの阿像です。    2022.4.27記

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