No188「おのうづ・めのうづ」で訪れた龍宮は矢作川支流の乙川の渕ですが,こちらの竜宮は矢作古川にあります。 むかし矢作川の本流だったころ「龍のまくら石」という川底の巨石の前で雨乞いすると雨が降ったという話, 安城の本證寺の池とこの竜宮が繫がっており竜がそこを通って本證寺に現れた話や,本證寺にもある貸椀伝説など,昔ばなしがこの地にいくつも残っているようです。 梅雨明後から続く暑さで探訪をためらっておりましたが,曇りの予報に「多少マシ?」と出かけたもののその予報は甘かった。周辺の寺社を巡る予定は炎天下で中途半端になりました。(右画は目印である県道479号龍宮橋の信号:左岸上流200mに小島龍宮社) ところで,No183鏡岩,No188おのうづ・めのうづ,今回のNo190小島龍宮社は直線で結ばれ乙姫の三聖地だそうです。 (白山龍鳴会の年間行事に記載→たしかにほぼ直線です・・・「おのうづ」か「めのうづ」かで微妙にズレるけれど) |
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■この地図は,国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製・追記したものである。 |
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県道479号の竜宮橋西の信号手前,左岸の堤防道路兼参道を進むと小島龍宮社がありますので境内(P)に駐車します。 参道入口に「関係なき方の車の進入はお断りします」とありますが,参拝に来たのだからいいだろう,と解釈。 1909年に一度八幡神社に合祀されたのちに再び分祀されたという社殿はきれいで,現役でした。(右画) せっかく来たので,アイシンのフェンス外の小道を矢作川本流まで歩き,矢作古川分派施設(堰:No1)を見学,戻って龍宮橋(左画)から県道479号を東へ向かいます。 しかし八幡神社への道(No2)を見落とし,次で曲がってNo3に来たものの,東禅寺とその向こうの八幡神社は炎熱道路のかなたに見える。 「こりゃダメだ」と先に進みます。(あとで思うに八幡神社を最後にして正解だった) 途中No4にKingFarmの喫茶店があり,誘惑にかられるもののやり過ごしてNo5宿縁寺へ。(ひたすら暑い) その向かいにある白山神社(No6)は山一つ丸ごと社叢で奥が深く(境内案内図),幾分涼しいし,森の霊気で気分も癒されます。 しかし,下ってNo7源空院,No8了性寺と進む頃には思考力が衰え「もはやここまで」と日陰の少ない道を引き返しました。 No9東禅寺にたどり着いてホッとしたものの,最後のNo10八幡神社へ登る石段を見たときは,正直ウンザリ。 でもまあ,なんとか八幡神社と天神社に参拝し,龍宮橋の下をくぐって龍宮社に戻りました。(倒れなくてよかった) ☆小島龍宮社の場所はこちら⇒ |
左:小島龍宮全体 境外社として再び分祀(復社)されたというのは,それほど地元に親しまれていたということ? 下:社殿と矢作古川の渕(龍宮?)を臨む四阿。 |
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左:上記の四阿から見た矢作古川。 残念ながら大雨の後で,風情も何もなく濁流が流れるのみ。 下:合祀された時の龍宮跡地の碑(手水舎の奥)と奉納のぼり旗(¥1300)の案内 |
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左:No1 矢作古川分派施設の堰。 今の矢作川本流は家康の時代に工事が行われ,岡崎城まで帆船が上るようになったと言います 下:ゲート状の堰(2016完成←ダムカード有)の下流を見る。 |
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左:県道479沿いは自動車関連の工場が続く。 左はリフトのビシャモン,右はアイシン城山工場。 下:No4付近はイチゴ狩りのKingFarmとその関連の喫茶店&農場。 |
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左:No5 浄土真宗大谷派,遠慶山宿縁寺の山門。 岡崎城の北門を移築(1873)したものらしい。 下:2022年境内のシダレザクラ古木が何者かに根元を傷付けられた事はニュースになった。 |
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左:No6 白山神社拝殿。 下:本殿横を登った山上の御熊社から下を見る。 (すぐ下に見えるのは秋葉社) 下右はさらに登った頂上付近にある神宮遙拝所。 |
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左:No7 浄土宗,営宝山源空院の山門附近。 3本のシダレザクラ古木で知られている。 下:松平康孝(家康の叔父)の菩提寺と伝わっている。 本堂前には「松平十郎三郎康孝公菩提寺」の石柱が建つ。 |
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左:No8 法華宗陣門流(失礼ながら初耳),雲母山了性寺。 この画像から暑さが伝わるだろうか? 下:寺の墓地越の南眺望,左端が宿縁寺,右端の山が白山神社。 |
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左:No9 落ち着いたたたずまいの,黄檗宗紫雲山東禅寺。 (黄檗宗:三禅宗の一派ですが明治政府により一時臨済宗傘下) 下:東禅寺からすぐなのですが,思わず「ウーム」とうなってしまったこの石段。 |
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左:No10八幡神社拝殿と二の鳥居。 右下:背後の山上には遙拝所。(ここも伊勢神宮?←たまに靖国神社というのもあるらしい) 県道が通って分断されるまでは小島龍宮のある森まで境内だったようです。 下:西参道途中の天神社。 |