■ 194 丸根城址・野見山/豊田市 ■

大河ドラマ「どうする家康」にあやかる企画が各地にありますが,豊田市公式観光サイトの御城巡りプロジェクト(全12城)に出てくる矢作川東岸の城址はふたつです。
ここ丸根城の北方3kmにある寺部城が家康(松平元康)の初陣の地として歴史的にも知られるのに対し,こちらはどういう城だったのかよくわからないらしい。(右画は地元高校生による御城巡り御朱印の幟)
地理的に家康の出城の一つだろうといわれる丸根城址ですが,遺構がコンパクトによく残っており,お城好きには好評です。
近場なので,ここまでなら車酔いの犬も大丈夫か?と,南東にある野見神社(展望がよい)とセットにして犬連れ周回してきました。
角力の神様といわれる野見宿禰(宿祢)を祀る野見神社から時計回りに山を周回する道は,地元有志により整備され,あちこち見どころもあり短いながらも楽しめるルートです。
丸根・野見
この地図は,国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製・追記したものである。
以前にはなかった 立派な城址公園駐車場()が出来ていました。(さすが大河ドラマ!と思ったら何年も前にできたようです)

ここから南へ下がって樫尾川を渡った所で左折。
教会横の 急坂を登ると左側にNo4御嶽神社。
さらに急坂を行くとNo5展望台が見えてきました。その反対側にNo6野見神社。
神社を抜けた先は山道ですが,要所に「山室を愛する会」の案内板(右)があってありがたいです。

No8まで来ると五ケ丘住宅地の西端の家が見えます(左)が,そちらへ行っては先行き大変なので西へ下ります。


No9廃屋群の向こうにかつての石切り場跡。
この付近から人家が現れ,里に戻ってきました。
No10の薬師如来の祠を拝んでからさらに下ります。
No12の石鳥居はどこだ?と見渡せば,急な石段の先にその先端が見えていました。

No13で矢作川に沿う県道340号に出ましたが(右画), ここから北上する約500mは,歩道がない。
車の多い危険な道路脇を歩くしかないので要注意。(鳥居から戻って黒点線の道が少しだけ安全)

☆丸根城址の場所はこちら⇒mapion
主郭 左:No1主郭全景と右下に縄張図&案内。(UP可)
No2北曲輪との間が虎口でこれらを取り巻く空堀というシンプルな構造です。
縄張下:No2北曲輪。

教会 左:No3豊田聖書教会。
プロテスタントの日本福音キリスト教会連合。
と書かれても私にはよくわからないが。

下:上記からすぐの左側にシデコブシ群生地。
モクレン科ですから花は春にならないと。
シデコブシ
野見御嶽神社 左:No4野見御嶽神社。
五ケ丘の宅地開発でここに遷座されたようです。

下:霊神碑群の中心には御嶽神社碑(代表して国常立尊)+三笠山刀利天宮・八海山大頭羅神王
御嶽三神
展望台 左:No5野見山展望台。
(夜景が素晴らしいようです)

下:ほぼ180度の大展望ですが,正面に猿投山。
猿投山
野見神社 左:No6野見神社。
拝殿前の総門に連なる透塀屋根両端に乗る力士像を見忘れてしまった!(右が仁王立,左が蹲踞姿)
どこかに四等三角点"野見"116.74mがあるはずだが不明。
右:No7東広場にある野見宿禰顕彰碑。
野見宿祢碑文(大正15年)には
 膂力如神誰匹儔
 皇系名族出雲酋
 宮廷角 摧強敵
 造埴輪長殉死休 とある。
なんとなく意味は理解。
(出雲の出で角力の強さは比類なし,埴輪を造って殉死に変えた)
左:No9で下る右手廃屋の先に石切り場跡。
(現地案内板⇒石切り場跡

廃車左画:かつての石切り場の関連と思われる廃屋と廃車がたくさん並ぶ間を下っていきます。
左:No10眼病に効くという薬師さんの祠。

右:No11にあったのは趣味の陶芸窯?それとも仲間内でのお遊びの炭焼窯?
鳥居 左:No12石鳥居。

右:階段下から見上げると,かろうじて鳥居の上部が見えます。

なんでこんな場所に?と,帰ってから調べました。
地理院空中写真を見ると,鳥居のある場所の北側に並ぶ太陽光発電パネルの群列の中を,神社への旧参道が貫いているのがわかりました。
なるほどと納得。
 
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