■ 046 羅漢山・秋葉山〜鈴木正三みち ■

豊田市則定町(旧足助町)には,鈴木正三生誕の地としていくつかの史跡が残っています。それを含めた付近一帯の史跡を巡るコースは「正三みち」と呼ばれて,ウォーキング会などで時々歩かれているようです。
その正三みちは,実は磐座(イワクラ)を巡る道でもあります。
正三記念公園の石碑群は巨石の前に建っています。すぐ上の熊野神社は背後に巨大な岩壁を持ちますし,江戸時代の尼僧・慈本尼がこもった羅漢山は大きな岩屋根の下が修行の場となっていたようです。
そして,椎城の北東にある秋葉山の山頂一帯は,まさしく巨石だらけで岩神さまの山。見事な岩のテラスは,眼下に則定集落と旧街道を見下ろし,そして巴川の向うには足助の山々を望む展望の地です。
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この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)
  及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情復、第48号)
この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。
豊田市との合併後に建てられた則定町のりっぱな集会所に車を置かせてもらいます。
:広い駐車場あり)
近くには正三記念館も併設されています。

東へ歩いてすぐの則定小学校脇を登る道が,正三記念公園(No1)へのルート,すなわち正三みちです。
記念公園から西まわりに上がった場所が,熊野神社(No2)。
いったん東の主道に戻り,長い階段を登っていくと案内があり,左への分岐を入ると羅漢山(No3)です。
一帯に散りばめられた十六羅漢像は,新緑のなかに埋もれてよく見えませんが,修行場全体が大きな岩場となっており,こんな場所に何年もこもったという慈本尼が早くに亡くなった(41歳)というのは納得。

さらに登ると峠(堀切)となり,左が椎城跡,右の薄い踏跡が秋葉山,直進は正三ゆかりの恩心寺へ。
戦国時代の典型的な山城である椎城(No4)は4つの郭がわりとよく残っています。せっかくですから一周して峠に戻り,そこから秋葉山を目指します。
峠から2度ほど切返して最後に東へ登ると,巨大な磐座を背後にしたなかなか立派な祠のある祭地,さらに先へ進むと絶景の岩テラスとなります。

毎回「ここでゆっくりコーヒーでも・・・」と思うのですが,ゆっくりと味わえるようなゆとりある探訪をしたことが一度もない。
帰りは元観音(No5)を経由,ゆかりの心月院(No6)を廻って駐車地に戻ります。(緑線)

登り口となる則定小学校の場所はこちら⇒MAPION

正三みち 正三みちの案内図。
これは集会所()付近にあったもの・・・拡大可。



公園 No1 鈴木正三史跡記念公園。
(左は則定小学校)

銅像と休憩所(東屋)があります。
石碑群は巨石の下です。
熊野 No2 熊野神社とその背後の岩壁。

まるでダンゴのように積み重なった岩がある。
kaidan 熊野神社からは本格的登山道。

とはいえ,ちょっと息が切れる頃になると幸いにしてして次の史跡に到着。
羅漢山 No3 羅漢山。

この岩場一帯に十六羅漢の石像が散りばめられています。
吉良町駮馬出身の江戸後期の念仏行者である慈本尼が千日行のためにこもった場所と伝えられます。
椎城 No4 椎城。(これは二の丸)

縄張図によれば最高部の主郭のほか,東にひとつ,北にふたつの郭が存在しているようです。
大きな堀切とともに遺構はわりとはっきり残っています。
秋葉山 秋葉山山頂の祠と背後の巨石。

山頂部は岩また岩のすごい場所です。
tenbo 祠の先には岩のテラスがあり,お約束の展望が・・・。
展望
新緑もよいでしょうが,冬場の方が見やすいかも。
則定から向かい側の下国谷・白倉にかけての展望(3月)は右画像。
岩岩2 秋葉山の巨石たち。(拡大可)

左:二枚が組み合わさった空間。
右:岩のトンネルの向うはまた岩壁。
心月院 No6 心月院。

あまりの巨石に圧倒された後には,こうした人の建物は何故かホッとしたりする。

2011.05.20 UP ■戻る■
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