■ 058 鍋づる万燈の万燈山/新城市 ■

万灯祭又は万燈祭というのは,お盆の頃全国各地で行われている行事です。(このとなり地区にも乗本万灯がある)
新城東部の市川地区の盆行事は「鍋づる万燈」という名前で,その松明の並ぶ山が古くから万燈山と呼ばれてきたようです。
飯田線鳥居駅付近から見ると,中腹から山頂にかけて半円を描くように炎が並び,この形が「鍋づる」と命名される所以かと思われます。
山頂には役行者石像と祠が石組みに囲まれており,低いけれど(250m)信仰の山です。
集落上部から,万燈祭の松明が並ぶ尾根に沿って登り,帰路は石仏の案内してくれる参道を下って一周してきました。
ちょうど船着山と常寒山の中間にあるので,常寒山へのルートを捜してみようかと思っていたのですが,あいにくの雨でした。
map
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情復、第48号)
この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。
新城東部一帯は長篠・設楽ヶ原の戦いの舞台ですので,なにかと史跡が残っています。
豊川を渡った市川の集落(ほんとに山里です)付近も,家康軍の酒井忠次らが鳶ヶ巣山砦を奇襲するために通ったルートではないかとの話があるようです。(総勢4千人といいますからルートもいくつかに分かれたものでしょう)

車は集落上部の白鳥神社前に駐車。(
舗装路に沿って南西に向かい,No1で徳蔵寺方面への分岐をやり過ごし,最後の民家前(No2)から斜面に取り付きます。
この尾根道(No3)はかなりの急登ですが,樹木もないので,長篠城方面のすばらしい展望が味わえます。(この日は小雨模様で残念無念)
急登が終われば山頂()は目の前。
ゆるやかな杉林の丘の中心に,石積の祭壇がありました。

帰りは反時計回りに参道を下ります。
No4で南からの林道終点広場に出ますが,正面には弘法大師坐像など石碑・石仏・石灯篭が並んでいます。
石仏を目印に下っていくと,やがて徳蔵寺を見下ろす場所に出ました。(No6)
徳蔵寺は今無住なのでしょうか?
見学のあとNo1の分岐へと下りました。

この地区も住民が減リ,鍋づる万燈のとき各家3本ずつ用意するという松明も,今は他からの応援にたよっているとの話です。

万燈山の場所はこちら⇒MAPION

白鳥神社 車を停めた白鳥神社。(

ここはすでに万燈山の中腹。
石段も社殿も,なかなか趣のある神社です。
石仏 神社からすぐ2体の石仏が並びます。

ここも巡礼路には違いない。
登り口尾根 左:No2の登り口。
最後の民家のほんとに正面でした。

右:No3「鍋づる万燈」で使われた松明の竹が並ぶ尾根を直登します。(あとでガイド本を読み直すと,直登しなくても,斜面を斜めに登っていけるらしい)
view 尾根の最上部からは長篠城方面の見事な展望が・・・と言いたいのですが,川向こうはすでに小雨に煙って見えません。(拡大可)
山頂 行者  万燈山山頂()。

石積み石室には,役行者像(右)が祀られ,その手前には結界を示す2本の石柱が立っていました。
弘法 No4 弘法大師像のある林道終点に出る。

林道は無視して北東に下って行くと,やがて旧参道らしき下り口が現れます。(下画像)
下り参道 石仏
No5 展望の参道を下る。

ところどころに立つ石仏(右)をはずさぬように歩けば,自然に徳蔵寺に導かれるでしょう。
山頂 No6 徳蔵寺を見下ろす地点。

徳蔵寺 「鍋づる万燈」の日(8/15)には,地区外の希望者も募って,ここで座禅体験や松明作りが行われるようです。

そのおかげで,長さ120mの鍋づる形の炎のアーチが再現された,との2002年の新聞記事もありました。
山村の人手不足は,どこも深刻な問題。

8月15日は「信玄原の火おんどり」の日でもあり,両方を廻るバスツアーもあるらしい。
全景 帰りに市川のバス停から見上げた万燈山。
西尾の万灯山に比べるといかにも山奥。

バス停⇒新城市Sバス吉川市川線終点
(新城市支援によるコミュニティバス)

2012.03.07 UP ■戻る■
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