■ 068 聖・俗混在の御津山/豊川市 ■

近くまで行ったので,豊川市(旧御津町)の御津山(みとやま)を周回してみました。
第二次大戦のときには山頂に砲台があり,B29を打ち落としたという話ですが,砲台跡はわかりませんでした。
山の北西に徳川氏ゆかりの大恩寺があり,その寺領だったようですが今は単なる観光里山(?)。

山頂近くの西斜面に「みと山荘」(No6)が営業しており,南斜面は民家・廃屋がかなり上部まで点在しています。
一方で,寺社に取り囲まれているともいえる山で,南中腹の「多聞閣毘沙門天」(No3)にはふもと集落からの参道があります。
南登り口近くの「岩畳神社」はあきらかに磐座(正確には岩壁信仰)と思われますし,山中には多数の石塔が集められた場所があり,古来からの信仰の山であったことがうかがわれます。
この聖・俗混在した里山は,三河湾国定公園に入っており,春にはその展望と桜見物でにぎわう山のようです。
68map.gif
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情複、第48号)
この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。
南のふもとから歩いて登る気だったのですが,車を駐車する場所に迷い,結局広い山頂駐車場()まで行ってスタートとしました。

その山頂への舗装路を登りはじめてすぐに岩畳神社の鳥居が右手にあります。
ここは鳥居のうしろに建つ社殿は前宮で,その脇の階段を登った上方にある岩壁が奥宮(奥の院)となります。

御津山頂には3段になったりっぱな展望台(No1)があり,蒲郡から田原まで三河湾が見渡せます。
山頂公園入口付近(No2)から始まる「四季の小径」という遊歩道(左図の緑線)を歩いていくとNo3多聞閣で,毘沙門天(=多聞天・・・北方の守護神?)を祀った堂がある。
「四季の小径」はその前を抜けて周回して行きますが,石段を下ってみると参道はそのまま下の集落へと続いていました。
石段下から反時計回りに歩くと,大量の石塔が集められた場所があります。
花も供えられて,なにやら曰くありげですが不明です。
そこからは人家・廃屋(No4付近)が混在していますが,いったん舗装路まで下りて,御津川沿いに山を反時計廻りに歩きました。

大恩寺への参道に出ると,ここが北側登り口。
この大恩寺(No5)は,徳川家の庇護を受けただけあって,とても大きな寺です。
急坂をUターンするように登ると,営業中の看板のある"みと山荘"(No6←ラブホ?旅館?)の横を抜けて山頂へすぐですが,それでは面白くないので直進,民家の前を抜けて「四季の小径」(緑線)の北口から再び遊歩道に入ります。
意外に深い森の中を,今度は時計廻りにゆっくりと山頂へ戻りました。

御津山の場所はこちら⇒MAPION

神社 南の登り口からすぐの石鳥居が石畳神社。

小さな社殿がありますが,信仰の対象は背後の斜面を登ったところにあるこの大きな岩壁です。
「愛知発巨石信仰」にも記述がありますが,古来地元で祀られてきた場所のようです。
御津山の北にある御津神社の別宮とも書かれています。
祭礼には「生イカ」を供える慣わしという話もある。

なお,御津山の南にある泙野神社は,集落の氏神様ということです。
山頂展望台 No1 山頂の展望台。

この一帯の春の桜は有名らしい。
御津山は国定公園に指定されている。

94.8mの三角点は見落としてしまいました。
ラグーナ 展望台からはラグーナ蒲郡が大変よく見えます。
その背後に見えるのは,三河大島と西浦半島。
多門閣 No3 多聞閣毘沙門天。
四季の小径は直進,右へ石段を下りればふもとの集落へ。
(ちなみに下から316段あるそうな・・・未確認)
とりあえずは石段を下りてみました。
山頂 左:上部の石段を下りたところから見上げる多聞閣。
この階段下から東側すぐには,多数の石塔が集められた場所がありました。
この付近は,古来の信仰の山そのものです。
石塔
大恩寺

No5 大恩寺の巨大な山門。

なにしろ御津山は,家康がこの寺の領地として与えたとされ,別名「大恩寺山」とも呼ばれたらしい。
不動 北口から入った「四季の小径」を進むと,「しきのはし」なるコンクリートの架橋がありました。

といっても10mほどで,あえて命名するほどのモノではないような気がしますが。
公園 そして一周廻って戻ってきた山頂公園。
左端に第二次大戦の死者の慰霊石柱が建っていますが,この画像ではわからないでしょうね。
砲台はどこにあったのでしょう?

2012.11.13 UP ■戻る■
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