■ 余談40「愛知の行者さま 資料編」出版 ■

愛知の行者さま2015年9月に愛知県内の役行者像探訪の記録を「愛知の行者さま」として出版(余談34)された山中氏が、今回満を持してというか、総決算としてなのか、このたび成果を凝縮した「愛知の行者さま 資料編」を出されました。

3年前に680体ほどと書かれた役行者像ですが、その後も次々と見つかり、今回の出版時には755体に増えています。
そして出版後もさらに見つかっているようで、これらをすべて見ようとするならとんでもない数です。
そのすべてを確認、掲載された唯一無比の出版物ということになります。(もちろん前著もそうですが)
巻末に触れられていますが、他県の状況がわからないため愛知県が特に多いかどうか不明とはいえ、数多くの像が存在する尾張・三河・知多にはそれぞれいくつかの事情があるようです。

その事情は高齢化と社会の変化で大きく変遷、街中の像は再開発等で移転して行方不明になり、山間部では祭る人が絶え所在地がわからなくなりつつあり、そして困ったことに盗難の被害にもあっています。
ということで、掲載された像がすべて見られるわけではありませんが、探訪のガイドブックとしてこれ以上のものはありません。(あくまで愛知県内限定です)
上菅沼行者そんな役行者像のうち、めったなことでは見られなくなった上菅沼の行者さま(左画)について触れてみます。
旧作手村北部の菅沼集落からさらに分け入った川沿いの岩場に祭られた行者さまです。
前鬼後鬼を従えた石像で、姿かたち・周囲の状況とも申し分ないものでした。
ただし、ここへ至る道は廃道化しており、私も地元の方にお聞きしてやっと見ることができた石像です。 ここだけなら、余程のもの好きでない限り見に来ない、発見は難しいだろうと思っていたのですが、この行者様へのルート入口付近に、弁天様の社と十六童子という石仏群があります。

石段菅沼川の淵に祭られていた自然石の弁天様を江戸時代中期に移したという社へ登る石段は、 すでに半分崩れかけており、下から見上げても何も見えません。(右画)
けれど登りつめた小ピークに立つ弁天様の社と、左右に8体ずつに分かれて社を守るように配置された石像群は見事でした。(十六童子は弁天様の眷属なのだそうです)
これを初めて目にしたのが2005年(上菅沼の行者さまを見る前)でして、 村内最高の石仏と書かれた書もあるくらいで、「いいものを見た」とたいへん満足して帰った覚えがあります。
十六童子
次に訪れたのは菅沼の行者さまを探しに来た2009年で、せっかく来たのだからと社まで登って再び写真を撮って帰りました。
そして帰ってから4年前の画像と見比べていたら、どうもおかしい。
向かって左手の8体のうち1体が消えているのでした。
盗難のようです。

フェンスさらに、2017年に”東三河を歩こう”さんのサイト内「十六童子」の項で、「橋を渡った正面に柵がある」「施錠されていて中には入れない!」 という記述があり、気になって訪れてみました。
確かに、以前なかった防護柵があります。(右画像)
柵自体は最近あちこちで見かける獣除け金属柵ですが、弁天様の山を囲うようにぐるりと取り巻いており、通常なら開閉式になっている入口がダイヤル錠でロックされています。
地元の方に尋ねると、この数年で合わせて4体が盗まれてしまい、相談の上で施錠することになった、とのお話が聞けましたが、なんとも悲しいことです。
「ウチの先祖が納めた像もあったのだが、今ごろどうしているかねえ」と心配されておりました。

同様の被害は全国的にニュースで聞きますし、奥三河一帯でも自治体が苦慮しているようで、設楽町では看板を立てることによって抑止効果を狙うとの目論見で、あちこちに新たな案内看板が立つようになりました。
でも、はたして効果があるのだろうか?
2005-2009ともかくこんなわけで、上菅沼の行者さまと十六童子は、 地元で行われる祭礼時(旧暦3月3日)以外には、おいそれと見られぬことになってしまいました。残念なことです。
参考のため2005と2009で八体を較べた画像をUPしておきます。(拡大可→石灯籠のすぐ左の像です)
・弁天様と十六童子については「作手の石仏」作手村文化協会郷土史部会1998:を参照
2018.7.7UP・・・・余談一覧を見る
 ☆追記:その後の十六童子をUPしました→ 2022.06.20 余談48 作手の「十六童子」

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