■ 007 秋の松平/大給城址・岩谷山を歩く ■

大給2006
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情復、第48号)
この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。
松平から新城へむかう国道301号線から右へ分岐して,急な山道を登るとまもなく7,8台止まる駐車場があります。

すぐの峠から石段の残る登城口を入ると,右は大給松平氏の墓所。城址は左へ。

巨石に彩られた土塁・石垣・虎口・水の手曲輪と見所いっぱいの中世山城,貴重な歴史遺産。
そして豊田〜名古屋を望む絶景。(No1)
これ以上言うことはありません。

南へ下りると畑の中を通って,一度集落内の舗装路へ下り、山すそを迂回するようにして岩谷山に入ります。

ここは石仏の案内する巡礼の道。
霊場の雰囲気を味わう道は山頂岩場へ。
No2地点、ここも絶景。
山頂から石仏に導かれて下れば,松平中学裏の山越え舗装路に出ます。(No3岩谷山登山口)
☆大給城址の場所はこちら→mapion

なお,山頂への途中で左へ分岐すると,山の由来の岩屋を抜けて無人の寺へ行けます。
2011の岩谷山と大給城址ルートUP

momiji1momiji2 訪城した城マニアたちがみな絶賛する大給城址。
松平一族の支城で,岡崎へ進出する前の時代の城。
香嵐渓の名前に隠れていますが,ここはまた知る人ぞ知る紅葉の名所でもあります。 (画像は2008)
No1地点。
豊田市街地を望む。

この山から南西方向に開けた平野を見た時、岡崎方面へ進出したいと野望をもつのは当然か?
やがて大給松平氏は、西尾六万石の藩主となって明治まで続き、一族の願いをかなえたと言ってよいでしょう。
岩谷山もまた全山巨石の山です。

その巨石を縫うように、八十八ヶ所弘法巡りの道が,あるいは割れ岩の間を抜け、あるいは岩屋のトンネルをくぐって、南斜面を巡っています。

修験道の趣残る岩場のルートは、フリークライミングの人たちにも知られているようです。
(やたらロックボルトを打つのはやめて欲しい)
No2地点(岩谷山山頂部)

西方向を見る。
遠く名古屋のツインタワーが見えます。

御嶽霊神碑等石仏が並びます。
ここもまた巨石の上です。
山頂はこの背後の藪の中。(展望はない)
iwaya 岩谷山たらしめている,まさしく岩屋。(左)
心やましきものには天井岩が落ちてくるそうです。

そして今は廃寺となっている寺(右)へと出ます。
30年ほど前はまだ住職がいたそうですが。
岩谷山 No3の地点。
岩谷山の松平側上り口。

ちょうど松平中学の裏山にあたる。
そして,今は歩く人もまばらな松平自然歩道の「辰の道」ルートでもあります。

岩谷山画像は2005/2006の組み合わせです。

2009.05.05UP ■戻る■
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