■この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情複、第48号) ■この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。 |
地形図(根羽)を見ていると,津具の古町高山の北方,茶臼山高原道路に近いところに1037.5mの三角点(▲)があります。 この三角点から南東への尾根を下がったところには神社を示す鳥居マークが載っており,ふもとへのルート(点線)も出ていますから,これは神社参道に間違いないところでしょう。 山頂まで続く点線ルートといい,神社マークといい,どうも気になる山ですので行ってみることにします。 この山のふもとである行人原には,ちょっと見てみたい場所(No1)があるので,これをもうひとつの目的として,まずはこちらから。 折元峠に向かう旧道沿いに登り口のある石像は,まさに役行者にふさわしいロケーションにありました。 石組みの想像以上の見事さに感激です。(下画像参照) 問題の神社は地元で「天神社」であると教えてもらいましたが,集落の老齢化で,山上のご神体は参拝の大変さからふもと(No2)に降ろしたそうです。(残念) それでも建物は残っているようなので,今の天神社付近(P)に駐車して参拝後,北に走る林道に出て旧参道を目指します。 No3でUターンする林道と別れて林の中の踏跡をたどると,始めのうちこそ参道かも?という道は,すぐにかすかな痕跡となってしまいます。旧参道がわからぬまま,少しずつ登りながら山腹を廻るようして尾根の北側まで続き,No4付近で伐採地に着いてしまいました。 仕方ないので,ここから南に向かって直登します。すると運良く天神社の真後ろに出ることが出来てやれやれです。(No5) 旧神社前には,田口高校の「われら山50」が転がっていました。 この旧神社からは,ゆるやかに尾根道をたどって15分ほど登れば天神山山頂に着きます。(▲) 山頂は,林が切り開かれて,三等三角点とわりと新しい国土地理院標柱が出迎えてくれます。 帰りは天神社からそのまま東へ下りましたが(図の緑線),No6付近でやはり踏み跡がわからなくなりました。 適当に下っていくと,中電の標識を発見,まもなく林道に降りることが出来ました。帰って「愛知アルプス山行記」で調べてみると,どうやら中電の巡視路利用が多少は登りやすいようです。 津具〜東栄町一帯は役行者を含め石仏・石碑等の宝庫です。 (■印) |
No1の行人原の役行者。 自然石と人の手による石組みが見事に調和して,これだけでも見る価値はあります。 行者様の表情はかなり風化が進んでいますが,枯れた献花をみると今なお世話する人がいるようです。 行者講が残っているという話もあります。 |
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さて天神山へ向かいます。 No2に山上からおろされた天神社があります。 実にこじんまりとして,周囲も一応整備された形跡はあるものの,なんだかさびしい。 |
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ともかく北側の林道に出て登ります。 左画像:轍があるので車の通ることはあるらしいけれど,かなり稀と思われます。 右画像:中部電力の巡視路案内。 これを目印に登るほうがよいかもしれません。 |
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行きはNo3で林道とわかれ旧参道(?)ルートをたどりましたが,どのルートを取っても,山上の天神社跡まで行くには,踏み跡の薄い山中を歩くことになるでしょう。 周囲はほとんどが杉の植林で,山仕事の人のかすかな痕跡をたどります。 (これはNo3から先の林・・・何も目印はない) |
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No5 山腹をぐるっと廻ってたどり着いた天神様(建物だけで中身は下の社に移転)。 手前の丸太に田口高校の「われらの山50」のネームプレートが転がっていました。 |
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三等三角点井ノ口(▲)・・・津具天神山1037.5m。 付近は伐採され中心に三等三角点と国土地理院の柱が立っていました。最近手入れされたようです。 |
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天神社から東へ下る途中,No6付近で津具の街を見下ろすポイントがあります。 何故かここには石垣が残っていました。 かつて何か建物があったかもしれません。 |
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行人原近辺の石仏群(■印) 左画像:行人原のツガと巨大馬頭観音,石碑群。 右画像:井口坂石仏群。 |