■ 057 三河国分寺・国分尼寺 ■

豊川にある三河国分寺,及び国分尼寺跡は,以前から一度は行ってみたいと思っていた場所でした。
ただ,犬連れで歩くには適当とは言えず,今回ちょうど免許更新で豊川へ出かける機会があり,久しぶりに犬抜きでの里歩きとなりました。
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この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情復、第48号)
この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。
車は国分尼寺の「三河天平の里資料館」(No1)か,国分寺の駐車場がいいでしょう。(資料館にはきれいなトイレもあります)

なんといっても,史跡公園として復元された国分尼寺の敷地跡がすばらしい。
緩やかに南に傾斜した敷地に礎石が並び,中央に金堂基壇が復元され,北端には掘立柱塀も一部復元。
周囲に大きな建物がないこともあり(建築制限?),北端No2から眺めると,奈良平城京跡を連想させる開放感があります。

資料館で,発掘された鬼瓦(これが一番気に入った)や丸硯などを眺めたら,国分寺へ向かいます。
ここには国の重文「銅鐘」が残っていますし,もう少し西に行けば国分寺塔跡が残されています。(No3)
塔跡に残る巨大な礎石を見ると,さぞや立派な塔が建っていたのだろうと,かつての姿を想像する。
(七重の塔,或いは五重の塔とも言われますが,もし建物があったらとうぜん国宝級ですね)

すぐ西側に,国分寺より古い創建という八幡宮。(最初の場所は国分寺のすぐ北らしい・・・跡地の碑が建っていました)
ここもとにかく広い境内です。

今回パスしましたが,さらに西の,東三河最大の前方後円墳「船山古墳」(No5)はぜひ見たかった。
(2014追記:後日訪れて見ましたが,この船山古墳一帯は史跡公園として,現在大きく変貌しつつあります)
三河の58神社の出張社である「三河総社」(No6)も訪れてみたい所ですが,この国分寺一帯はまた来る機会があるでしょう。
・三河総社:7世紀に穂の国の国庁がこの付近に作られ,国司が各地巡回するのがメンドーでのちに神社をここに集めてしまったという。

三河国分尼寺・三河天平の里資料館の場所はこちら⇒mapion

中門 No1 「三河天平の里資料館」の正面には,復元された中門と回廊(の一部)があります。
view_N No2 敷地の北端から見る。

広いです。(夜になると鹿が出るそうです)
ゆるやかな南傾斜のなか,中央の金堂跡地が復元されています。
豊川市のホームページに解説があります。
鬼瓦 敷地向かいに建つ「三河天平の里資料館」には発掘された品が展示されています。

左:国分寺/国分尼寺の鬼瓦。(半分は複製)
この表情はたいへんやさしく,気に入った。

他にも硯や敷石,屋根瓦・軒瓦(右)などがあります。瓦はびっくりするほど厚い。
国分寺 現在の国分寺。(中央のP)

一見したところ,失礼ながら小さな田舎寺に見えます。

境内の銅鐘(右:国の重文)がかつての興隆を示す唯一の遺産かもしれません。
塔あと No3 現在の国分寺からすぐ西,かつての塔跡。

巨大な礎石が二つ残っています。
残念なことに,公民館によってかなり跡地が削られていますが,思いを馳せることは出来ます。
背後から国分寺 上記塔跡を北から眺めるとこんな荒地。

(正確には史跡保存地区として,この一帯の開発は停止されているようです)
八幡宮 No4 八幡宮。
塔跡からさらに西へ歩くと,広大な八幡宮です。

創建は7世紀半ばと,国分寺より古い。
(現在の本殿は1477年のもの)
尼寺 一周まわったらぜひもう一度,国分尼寺の復元敷地をゆっくり眺めてみたい。
ずらりと並ぶ礎石は150m四方。
(これは南東角から)

2012.02.11 UP ■戻る■
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