新城東部一帯は長篠・設楽ヶ原の戦いの舞台ですので,なにかと史跡が残っています。
豊川を渡った市川の集落(ほんとに山里です)付近も,家康軍の酒井忠次らが鳶ヶ巣山砦を奇襲するために通ったルートではないかとの話があるようです。(総勢4千人といいますからルートもいくつかに分かれたものでしょう)
車は集落上部の白鳥神社前に駐車。(P)
舗装路に沿って南西に向かい,No1で徳蔵寺方面への分岐をやり過ごし,最後の民家前(No2)から斜面に取り付きます。
この尾根道(No3)はかなりの急登ですが,樹木もないので,長篠城方面のすばらしい展望が味わえます。(この日は小雨模様で残念無念)
急登が終われば山頂(▲)は目の前。
ゆるやかな杉林の丘の中心に,石積の祭壇がありました。
帰りは反時計回りに参道を下ります。
No4で南からの林道終点広場に出ますが,正面には弘法大師坐像など石碑・石仏・石灯篭が並んでいます。
石仏を目印に下っていくと,やがて徳蔵寺を見下ろす場所に出ました。(No6)
徳蔵寺は今無住なのでしょうか?
見学のあとNo1の分岐へと下りました。
この地区も住民が減リ,鍋づる万燈のとき各家3本ずつ用意するという松明も,今は他からの応援にたよっているとの話です。
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