■ 166 西林寺(白瀬矗墓)・東条城址/西尾市 ■

去年たまたま知りましたが,南極探検で知られる白瀬矗(ノブ:観測船「しらせ」の方が有名?)の墓が西尾市旧吉良町の,浄土宗西林寺にあります。
出身は秋田なのですが,次女が愛知県で仕事した縁でこちらに墓があるのだそうです。(生誕地の浄土真宗浄蓮寺にも墓がある)
近くには名門吉良氏の城「東条城址」がありますから,西林寺とあわせて見学に出かけることにします。(城址は15年ぶりの再訪)
西林寺だと思っていた墓は,実はその裏山にあたる瀬門神社入り口にありました。
ここからも東条城址へ行けそうなので,途中まで歩いてみたものの道が不明,結局車で探して登城しました。
東条城址
この地図は,国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製・追記したものである。
鳥居No1瀬門神社入口脇に「白瀬南極探検隊長の墓」という案内があります。(右)
鳥居のすぐ奥No2がその場所でした。

神社奥のNo3古墳脇に「東条城址へ」という碑(左)があったので,茶畑・養鶏場を通り,アイシン寮を過ぎて南東へNo4地点まで下ってみる。
正面の丘が「東条城址」と思われるのですが,案内がない。(地図も忘れた)
戻って車で向かったのは正解で,登ったNo5は違ってました。
ここには 「真珠院」という無住廃寺と尼僧の「千日念仏」修行場(小屋)があります。
この江戸後期の真珠院住職・慈本尼は豊田市則定の羅漢山でも「千日念仏行」を行ったと伝わっています。(参考:No46 羅漢山・秋葉山
ということは41歳没までに「千日念仏行」を2回!…約6年か。

東条城址へは,No6またはNo7の登城口から登ります。
駐車場()もあったのですが,知らずに冠木門の見えるNo7から直登。
いかにも城址らしき景色ですが以前来たはずの記憶が全くない。案内

虎口はNo6登城口から登った大手門と,No8付近にあったらしい搦手門。
右に2007年撮影の案内図を載せます。
(今は劣化してまともに見えない)

前回の時には模擬城門・物見櫓があったのですが,すでに取り壊されてありません。(下にその画像UP)
残っている木柵もかなり劣化中。

☆東条城址の場所はこちら⇒mapion
碑 No2 白瀬矗の墓所全景。
中央に墓碑と略歴板,左は碑建立の由来説明とペンギン像,右に観測船「しらせ」のプロペラ。

中央の地面に大きな丸い石盤,これは南極の地図で「大和雪原」の場所が載っていたらしい。
見逃してしまった。
ペンギン 左:「白瀬南極探検隊長墓碑建立の由来」という解説が石に埋め込まれている。
親子のペンギン像がいい味出してます。

その吉良町教育委員会の説明文は→こちら
なかなか味わい深いものがある。
言ってしまえば,親族が訪ねてくるまで墓の存在を気にしてなかったということですね。
大和雪原開拓者の墓 左:「大和雪原開拓者之墓」と刻まれた墓碑。
「大和雪原」命名から今年で110年。

右:上記の碑の側面には
「南極院釋矗徃」(白瀬矗)と「尼妙安」(妻やす)と法名が刻まれています。
昭和33年(1958)に西林寺から改葬された二人の墓なのです。
略歴 左:白瀬矗隊長略歴。(拡大可)

右:南極観測船初代「しらせ」のスクリュー。

4枚羽根のうちの1枚で高さは2m。
上端の6個のボルトは回転バランス調整用。
海上自衛隊の貸与品とあります。
公園 左:No6 東条城址西登城路。(大手門へ)

右下:No7 北登城路。
北登城口
三の丸 左:No6から登った三の丸の曲輪。
正面が大手門。
右下:城址の一角にある八幡社。

クロスコンボ 左:本丸西の大手門と物見櫓。(2007年画像)
右下:上記の大手門を三の丸から見る。
(二代目の犬と2007年)
三の丸 左:本丸から見る三の丸(桜の時期が最高)
右端の建物は凝った造りの厠です。
下:「東条城の歴史」案内板。(拡大可)
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