■ 176 高之御前神社/岡崎市 ■

旧額田町大代の入口で県道334号沿いの高之御前神社は里宮であり,西の山中に奥の院があることは知られています。(google mapでは神社以外何もない)
最近この付近の寺社を訪れる機会があり,久しぶりに高之御前神社里宮に寄りました。(一見すると石鳥居と集会所しか残っていませんが)
奥の院には2012年の鳥川アルプス東側周回時に行ったと思っていましたがこれは勘違いで,高野御前山を通過しただけでした。
ということなら,一度は奥之院に行かねばならないと,暑い中を出かけることにします。
ポンヌフさんの訪問記「手当次第」によれば,里宮から林道を歩いで25分程とあるので,その舗装林道歩きのつもりで登り始めました。
が,足慣らしでNo1からNo3の赤鳥居の祠まで登って参拝してみると,石段はその横を通過してさらに上に続いており,どう見てもこれが本来の参道!
それではと,下の舗装路に戻っての林道歩きをやめ,苔生した石段の続く約1kmの山道を汗を流しながら登る,という予定外のまともな登山となりました。
176高之御前
この地図は,国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製・追記したものである。
石段里宮()に車を置いて神社裏の川沿い林道を歩き,チェーンの車止めゲートを超えるとまもなく,右斜面の石段が目につきます。(No1:右画)
かなり急な自然石交じりの石段を登り始めるとすぐ,No3に立派な鳥居と石の祠がありました。
石の祠は謎ですが(山の神か秋葉山か,でも鍵がかかって見られません),木製の赤鳥居はまだ新しそうです。
さらに登っていくとNo4で林道出会いとなり,石段はさらに林道を横切って正面の尾根筋へと続きます。
No5で注連縄を巻いた一対の立岩を過ぎ,No6でヒノキの並木道を抜けると,No7で山頂への道と分岐して奥之院に到着。
なかなか険しい参道ですが,奥の院も含めていまなお地元で整備されているようで,頭が下がります。
(大代町住人は2022年現在で43所帯106人なのです)
No7からも石段は山頂へ続くようで,No8で広場のようになった林道に出ました。
2012年「061 水晶山から額堂山周回」では縦走途中にここを通っているはずですが全く覚えていない。(黒点線)
正面の「高之御前山頂へ」の案内板(右画)には心惹かれますが,帰路の滑りやすい石段を考えて今回はここで引き返すことにします。
登りでは気づきにくいのですが,下界まで戻るとNo2に不動様と石の祠で祀られた小ぶりな滝が見られます。
今回,小枝を削って面取りし「十二月」と書かれた一対の木札を,この滝を含めてあちこちで見ました。
魔除けの類と思われますが詳細不明です。(下画像:里宮・不動滝・No5参道脇・奥宮の計5か所→後述)


☆注:里宮の社名標柱は「高野…」と彫られていますが奥之院の扁額や参河国額田郡神社誌(1932)では「高之…」ですので,ここでは高之御前神社とします。
☆高之御前神社里宮の場所はこちら⇒mapion
里宮 左:高之御前神社里宮(
下:建物(集会所?)ウラが奥宮への入口。林道口
鳥居 左:No3紅い鳥居と石の祠。
下:No4林道出会い…正面に石段の続き。
林道出会い
石碑 左:No5注連縄の掛かる自然石のミニ立岩。
ここに一対の「十二月」木札。

右:No6ヒノキ参道。
奥之院 左:高之御前神社奥之院。
右下:背後の磐座にも「十二月」の木札。
薬師堂 左:No7からさらに登る石段が見える。
右下:ここの石段は手摺まで付いてます。
広場 左:No8林道広場(キャンプファイヤーもできそう)
右下:下りの石段は特に慎重に。石段
下り 左:No2不動滝

右下:上に見える不動様と祠(不動左端)不動
磐座 左:里宮の境内に見える小さなご神体(?)。
右下:その拡大 


このさらに右奥には,ほとんど埋もれてしまった手水(湧き水)もありました。
takanojinja 左:「参河国額田郡神社誌」
(1932刊↑国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)

これによれば神社名は高之御前山からとったらしい。
高之御前山はかつて雨乞いの場所として有名で,各地から人が訪れたという。
境内社を含めると,旧宝飯郡内に3ヵ所の高之御前神社があるそうです。

また郷土史家・松山雅要氏によれば,高之御前の「御前」は地元の力寿姫伝説と関係するのでは?との考察があります。(高之御前神社の一考察 1995)

オニンギ 十二月と書かれた木札は「オニンギ」「オメイギ」「ニュウギ」「クンチョ」などの呼び名で小正月の行事だったようです。 (一部では節分行事)
東三河や佐久間,或いは信州などにもあった風習。
上左は飯田市,上右は佐久間町(現浜松市)

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