■ 012 岡崎の古道〜道根往還・北部 ■

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この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情復、第48号)
この地図を第三者がさらに複製する場合には,国土地理院の長の承認を得ることが必要です。
道根往還南部ルートの終点,岡崎市霊園「やすらぎ公園」の斎場付近(No1)が、北部ルートの始点(又は終点)となります。
もう一方は、旧額田町鍛埜町(かじの)の八幡社・正立寺への参道口(No8)で、県道35号の川沿いに5,6台止められます。
この鍛埜町から歩いたほうが終点(やすらぎ公園)の達成感(開放的)がありますが、車を置くまで遠くなるのが難点でしょう。
どちらにしろ往復ルートになりますが、ここではやすらぎ公園をスタートして正立寺にいたる順路をたどってみます。

右に斎場の建物があるNo1からは、すぐに未舗装の、ドングリや山栗の散らばる木漏れ日の雑木林となります。
800mほどで道が交錯、左は水田脇を抜けて板田町から霊園へ戻る、右は岩戸町へ下る道ですが、ここは直進して登る。
峠をこえると明るく視界が開けて気持ちがいい。下った所に岩戸三弘法のブロック造りの堂が立っています。(No2)
さらに沢を越えて進むと採石場跡地(No3)、そのまま直進すれば舗装路に替わり、いったん県道335号に合流です。
200mほど県道を歩いて再び分岐(No4)ですが、後半100mは道も細く、時に走り屋の兄ちゃんがタイヤを鳴らして走り抜けるのでこの区間は要注意

県道から分岐後は安心で、右(南部)に植林、左(北部)に雑木林という境界路を歩きます。
No5左手に崩れた石積み(石碑?)、No6右手にかなりの巨樹(ケヤキ?誰か教えて!)、そしてこの付近は左右に石垣が目に付きます。かつての人家と水田跡か。
道は次第に人里の気配を示し、No7で左崖上にある石仏を過ぎるとまもなく正立寺(No8)。この正立寺付近から左へ分岐して参道を登ればひっそりした八幡社、まっすぐ下ればすぐに県道35号へ到着となります。

道根往還南部もそうですが、全ルートで道はたいへん広く歩き易い(轍もあります〜南部では自転車・バイクに注意)。
ここはどうしても、春か秋の快晴の日に歩きたい。

霊園口 No1 道をはさんで斎場反対にある入口。

ここから旧額田町鍛埜の正立寺まで約5km、1時間半ほどの道中です。
歩き始めるとすぐ山栗の出迎えを受けます。
案内 800mほどで十字路になっています。

左方向は水田がかすかに見え、右へ行けば下りで岩戸町に向かう。
正面へ登って行くと、峠を越えてから岩戸三弘法への開放感ある下りになる。
三弘法振返る No2 岩戸三弘法。

左:コンクリートブロック(少々残念)の堂。
右:下ってきた道を振り返る。
採石場 No3 採石場跡地。

ススキの揺れる広い空間が広がる。
正面に向かうと電柱が現れ、舗装路になって廃屋脇を抜けて県道335に出ます。
(下画像右:ちょっと興醒めは否めず)
地蔵r335 道根往還は県道を右ですが、左へ少し行くと、水田脇にちいさなお地蔵様の祠。(左画像)

右へ200mで再び道根往還の案内。(No4)
急な登り舗装路を入ります。
この付近車に注意、リードは短く。(右画像)
石塔巨樹 左図 No5 石塔が崩れたまま残っている。

右図 No6 根周り太さは相当な巨樹。
(いずれの画像も拡大可)
石垣 人家跡の石垣か?

この付近はかつての人の暮らしを思わせる平地や石垣が目に付きます。
石仏 No7 左崖上から旅人を見守る石仏。

この付近では、木々の間から人家も見え、県道35号を走る車の音も聞こえてくる。
県道合流点まであと600mほど。
鍛冶埜石仏 No8 1422年開山の浄土宗西山派正立寺。

道の反対には携帯電話電波塔が建つという、いかにも象徴的な風景がある。

近くに移築された岡崎城北曲輪裏門あり。
(地元情報は合併前の額田町の編集による郷土資料ふるさと読本ぬかたを参照されたい・・・web版あり)

2009.10.07 ■戻る■
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