■ 039 大竜頭(竜頭山)〜竹島ルート ■

旧作手村北端の竜頭山は,修験道の山です。
鳳来寺開山の利修仙人が修験の場としたともいい,当貝津川沿いの設楽町田峯地区南端にある玉宝院が,竜頭山一帯の修験道の中心だったそうです。(この地域最後の修験者,島法印亡きあと,玉宝院は無住のようですが)
すぐ東の橋を渡り,川沿いを歩いて途中から谷へ分け入って竜頭山へ向かう旧参道は,今もその痕跡を残しています。

田峯側では,この山に「カシャ猫」という化け猫が住んでおり,三都橋の葬儀に現れて死骸を奪おうとしたのを円光寺の和尚が法力で追い払った,という話も伝わっています。(設楽町文化財専門委員活動報告2) ただ,この死骸を奪うカシャ猫(火車猫)の話は各地に伝説が残るようです。(少なくとも茨城・福島・山形3県)
いっぽう作手村には,山頂に寒がりの竜が住んでいたという昔話が残っています。(HP「つくで見聞録」参照)
かわいそうな凍傷の竜は,村人の助言で南の国へ飛んでいったという話です。
なにはともあれ,ここ竜頭山は伝説の山。
そもそも竜頭山とは今の山頂(752.3m)をさすのではなく,岩峰である大竜頭のことをいう名称です。
今は小滝(鳴沢の滝)から登るのが主流ですが,かつては設楽町竹島から当貝津川を渡る上記の参道が一般でした。
(といっても太平洋戦争前の話で,残っていた案内の石仏も伊勢湾台風で飛んでしまったという)
当貝津川支流に分け入りしばらく進むと,沢添いの巨石上に役行者像があり(No4),その先は修験の男道(鎖場)と迂回する女道があったといいます。田峯小学校から遠足で来たという話(山越えで来る近道があったらしい)や,安城の女学校(今の安城高校か?)から登りに来たのを同行して案内したという話も地元で教えて頂きました。
・2019年5月追記 竹島ルート再挑戦、急斜面に苦しみながら大竜頭へ登りました。⇒No152 竜頭山、竹島ルート再訪
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この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図50000(地図画像)及び電子地形図25000を複製したものである。(承認番号 平26情複、第48号)
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この竹島ルートは,かなり荒れております。途中からは踏み跡も消え,ルート捜しの末,大竜頭下の直登までは進みましたが,残念ながら時間切れで撤退しました。杣道

入口は当貝津川にかかる竹島橋()で,ここから橋を渡り,参道の趣き残る用水脇(No1)を上流へ歩きます。砂防ダム(No2)を巻いてその沢に入り,二つ目の砂防ダム(No3)を過ぎるころには,道は杣道程度(右画)になります。
やがて正面に巨石が現れ,そこには錫丈を持った役行者石像がありました。(No4)

ここから先はルート不明です。斜面を登って探索したものの道の痕跡なし。
結局,沢を渡るのがよいと判断し,渓流を渡り大竜頭直下の急斜面に取付きました。
昨年の台風の倒木が多い中を乗り越えて進むと,巨石が目に付くようになります。
しかしながら,大竜頭への最後の巻道まで多分30分くらいかというところ(No5)で今回は断念して引き返してきました。(毎度のことながら出発が遅いうえ,冬のこの時期では日暮れも早いので,早めに撤退)
夏にはマムシも多いと聞きますので(仙人の使いと言われます),登るなら秋の終わりから春の間です。
とうぜんながら,まともな道はありませんのでそれなりの覚悟は必要です。

大竜頭(竜頭山)についてはHP「愛知の行者さま」にくわしい記述と資料があります。
2010.4月に東三河山ぽ会がかつての男道を直登しています。(充分な装備と経験が必須・・・2012追記)
竹島橋(駐車地点)の場所はこちら⇒mapion

竹島橋 地点で竹島橋を渡ります。(R420から分岐)

この地点から西に戻れば,今は無住の玉宝院と三河の大峯としての竜頭山開創の記念碑。 (下に前鬼像あり)
当貝津川 上記竹島橋から当貝津川上流を見る。

左側の林に隠れた部分に用水が流れ,その脇を上流へ向かう道があります。
用水 左:用水路に沿う道はまさしく参道。
(No1付近)

右:落差はないものの大きな滝も見えます。
当貝津川
ダム No2 砂防ダム(一つ目)
途中から山腹を登ってこのダムを迂回します。

登らずに進むと砂防ダム正面で立ち往生する羽目になります。
ただ,おかげで古い石碑が立っているのを見つけましたので,ちょっとお得な気分。
左:No4巨石。(中央に小さく石像が見える)

右下:その役行者像拡大。
行者苔むして表情も判別できませんが,右手に錫杖を持っていることはわかります。
撤退地 沢を渡ってNo5付近まで登ると,大竜頭の岩峰から来たと思われる巨石がゴロゴロ現れます。

今回は撤退しましたが,このまま登れば大竜頭に着けるのは間違いないでしょう。
(危険度は???)
杉 No6 沢のどん詰まりでツタに絡まれながら立つ大杉。

目通り周3mくらい。
谷間の岩場でこれだけになるのは,かなりの年月かと思われます。
場の雰囲気からして,かつて休息の場所だったのではないか?とも想像するのですが,もう半世紀以上前のことでわかりません。
田峯 上記の大杉から北方を見ると,冬枯れの木々を通して谷の向うに田峯の山が見えていました。
(これはたぶん天神山578m)
竹島山玉宝院。

修験道(真言密教)の流れを伝える寺院。
「愛知札所巡り」のサイトによれば,真言宗醍醐派,1684年中興との記述があります。


2010.12.07 UP ■戻る■
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