蒲郡の東端にある砥神山(とがみやま)は信仰の山。 「砥神」は本宮山砥鹿神社の砥鹿と同じだという話があり(砥鹿は多賀神社の多賀のなまりだとか),一方で「遠鹿見」(遠くの鹿)だという説もあるようです。 とよおか湖から砥神神社と二つの山頂を巡り,南下して原山経由で尾根伝いに星越峠までを縦走してみました。 | |
■この地図は,国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製・追記したものである。 |
車は,トイレもあるとよおか公園駐車場(P)に止め,ミカン畑の中をスタート,給水施設(?)の脇の西登山口から入れば,そこは一気の急な石段。途中くぐり岩で息を整え,さらに砥神神社奥宮までの急登にあえぎます。 砥神神社からは,その脇を抜け裏を回って役行者像の横を登ると西山頂(No1)はすぐです。巨石の祭られた山頂広場からは,お約束の見事な展望が広がります。 双耳峰である東山頂(No2)へ進むとここにはブロンズの役行者が祀られており,祭壇前の炉にはまだ新しい護摩供養の跡が残っていました。 ここから東口へと階段を下りて,南の原山へ向かいます。 No3で十字路となっており,直進と左折のどちらも原山へ行けますが,直進ルートなら山頂藪漕ぎを避けて迂回できる道があるようです。(左図紫点線ライン・・・未確認) 私は当然原山山頂(No4)へ向かいました。 山頂にあるヤマモモの木と大展望は健在ですが,この先はかなりの藪漕ぎの覚悟が必要。 行きは斜面東方向に降りたのですが,トゲのある蔓系の強烈なヤブでした。帰りは斜面西側からわずかな踏み跡をたどったので多少マシかも。どっちにしろ,冬枯れの時期以外に通るのは困難でしょう。 原山を下ったところが犬口グラウンド,少年野球チームが練習してました。 ここから林道を横切り,無名峰のピーク(No5)を目指して再び尾根道に入ります。ここも踏跡はうすいが藪漕ぎというほどでもない。 No5ピークにはいつの製作かわからぬ朽ちた手作りブランコが枝からぶら下がっておりました。 ここを下っていくと,やがて三谷中学の運動部の鍛錬コース(左の青点線)に合流,最後の小ピークから急坂を下ると三谷中学のプール脇に出ました。 星越峠の石碑(No6)は,目前のR247沿いすぐ東です。 帰路は,再び砥神山へ登り返すだけの元気なく,No3から林道を通って鶏舎脇を抜け,とよおか公園へ戻りました。 今回はパスしましたが,砥神山から潮見台を抜けてさがらの森一帯を歩くのも楽しめます。荒井古墳,観音寺,全福寺跡,石像群・・・ただ御堂山へのコンクリート登山道だけは興醒めです。 この一帯についてはアイ of 抜拘把空迦聚さんのHPがすばらしい。 砥神山の場所はこちら⇒ ☆ No133 とよおか湖から砥神山・御堂山周回(2017.4) |
とよおか湖から見る砥神山。(252m) この西方向からでは実感がないが,別の角度から見ると三谷富士とよばれるきれいな三角形をしています。 |
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西登山口。 県の給水施設脇に石碑があります。 ここから登るとまもなく,ミカン用リフトの脇を登っていく急な石段となります。 中間点のくぐり岩は大変ありがたい休憩所。 |
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左:長い石段を登りきると砥神神社奥宮。
この背後から回り込むように登ります。 里宮は西約1kmの247号沿い。 右:その登りの途中にある役行者像。 かなり写実的。 |
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左:No1 巨石を祀った西山頂。 右下:No2 役行者像のある東山頂。 右下に護摩炉の端が見えています。 |
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砥神山(東山頂)から三河湾を見る。 正面に浮かぶのは三河大島,遠く渥美半島が見えています。右端に見えている細長い陸地は西浦半島か? |
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No3 東山頂から降りてきた東登山口。 途中名前のついた巨石がいくつも見られます。 このすぐ脇で,現在トイレの改装(新築)中。 ここは登山道が十字路に交差しています。 西に下れば養鶏場経由で三谷登山口・西登山口へ。 南と東は原山へ向かいます。 (南道は途中で山頂路と迂回路に分かれます) |
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No4 原山山頂にある案内板。 ここも展望はすばらしい。 ただし,ここからの登山道下りは藪に消え(もともと薄いが),突破するのならばそれなりの覚悟は必要。 |
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No5 無名ピークに残るブランコ。 (朽ちて二つに折れている) この付近の下をJRと新幹線がトンネルしてます。 犬口グラウンドからここへの尾根道は痕跡ていど。 (トゲの下草で歩きにくい) この先でロープに道案内された三谷中学の練習コースと合流します。 |
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最後の小ピークからはラグーナ蒲郡が目の前です。 天気はまあまあ。 寒風の中,ディンギー(小型艇)が走っておりました。 |
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上記小ピークからは急坂です。 (雨の日はとても歩けないような) 下りたところは,三谷中学校のプール前でした。 このままでは運動場に入ってしまいますが,直前で左へ下りれば,ちょうど星越峠の碑の正面に出ることが出来ます。 |
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No6 今回の終点,国道247号沿いの星越峠歌碑。 今は国道で一気に通過できる場所も,かつては吉良道の難所です。戦国時代の連歌師宗牧は、ここまで見送ってくれた上ノ郷城の人々に感謝して歌を残しています。 | |
左:No6星越峠歌碑。 右:碑文 「立ち帰り 又も逢はまし ほし越や かずかずあかぬ 老いの坂かな」(微妙に原文と違う) 原文:日本紀行文集成第4巻 |