余談No40でも触れましたが,2005年10月に新城市となった旧作手村北部に弁天様を祭った社があります。 この社を守るように「十六童子」と呼ばれる石仏群が左右に配置されており,「作手の石仏」(作手村文化協会郷土史部会1998刊)による紹介では”村内最高の石仏”と表現されるすばらしい文化財でした。 2005年に初めて見たときは,かなり探しまわった上に崩れかけた石段に苦労させられ,目の前にした社と石仏群に感動したものです。 けれど,集落から離れたわかりにくい山の中腹にあるにもかかわらず,少しずつ石像は盗まれてしまったのでした。 二度目に行った2009年の画像では,すでに消えている石像がありましたが,その後も盗難は続き,地元では弁天様の山を囲うように獣除け金属柵を設置,社へ向かう参拝路はダイヤル式ロックで施錠されてしまいました。 (右画像・・・正面が弁天様の山) このあたりのことは余談No40に書きましたが,まったく残念で,犯人たち(多分複数)には怒りのみです。 施錠は,更なる盗難を防ぐためには仕方ないと納得するしかないのでしょう。 その後どうなっているか,機会があって久しぶりに十六童子を見てきましたので,現状報告と最新の画像を載せます。 |
まずは2005年と2009年の比較(下画像) 左画像の2005年にある大黒天と灯篭わきの十六童子一体(生命童子)が2009年の右画像では消えています。 そして石仏群左側を2005年と最新2022年で較べると数の違いは明確。(石仏群右側は2009年から変化なし) 灯篭脇の一体を最初として前列の三体(12番 生命童子・15番 船車童子・16番 善財童子)が消えて,残りは五体となってしまいました。 約250年前の明和年間(1764-1772)から祀られてきた十六童子石仏群は、こうして大黒天を含めて少なくとも四体の盗難にあっています。ただ,前記「作手の石仏」に載っている毘沙門天が見当たりませんので,2005年時点ですでに盗まれていた可能性もあります。 祭礼時(旧暦3月3日)以外には拝顔も難しくなってしまいましたが,せめて今後無事であれと願うしかありません。 |